みなさんこんにちは。今日は久しぶりのフィリピン関連記事。以前マニラ穴場観光でも紹介した、フィリピン空軍航空宇宙博物館へタイからの帰り際、立ち寄ってきましたので、そのことを今日はシェアしたいと思います。
フィリピン空軍航空宇宙博物館概要
フィリピン空軍航空宇宙博物館は、フィリピン、メトロマニラのパサイ市にあるジーザスヴィラモール空軍基地の敷地内にある航空宇宙博物館です。この博物館は1974年5月2日にマルコス博物館として設立され、現在の場所にある博物館は2007年6月にオープンしました。
地図と行き方
上記地図をクリックしてグーグルマップに飛んでもらえば、比較的容易に行き方はわかると思いますが、ここでは私が実際に行った行き方を紹介したいと思います。今回はタイからセブパシフィック航空でちょうど戻ってきたばかりでしたので、ターミナル3の上層階から出ているコンコースでリゾートワールド側に出ました。コンコースの詳細は下記の記事を参照してください。

コンコースを出て、リゾートワールドのグランドボールルームを横切ります。
2023年開業予定のホテルオークラも着々と工事が進んでいました。
このホテルは、大規模な統合リゾートであるリゾーツワールドの一部となり、PAGCORがゲームゾーンを作成するために認可した4億ドル規模の民間セクターカジノの最後のものとなります。エンターテイメントシティと呼ばれるこのエリアは、メトロマニラのパラニャーケ市のマニラ湾にあり、リゾーツワールドには、オペラハウス、高級商業施設、コンドミニアム、映画館、コンベンション施設も設置されています。マニラのニノイアキノ国際空港からわずか3キロメートル、国の主要ビジネス地区であるマカティ市から5キロメートルです。一等地にあるため、新しいオークラの施設は、レジャー旅行者とビジネス旅行者の両方にとって理想的な拠点となるでしょう。
計画上は、38,000平方メートルを占める13階建ての建物に380室が含まれる予定です。最先端の設備と本格的な日本のおもてなしを提供します。施設には、和食などのダイニング施設、4つの会議室/宴会場、スパ、屋上プールが含まれる計画です。
ターミナル3とリゾートワールドの間のアンドリューズ通りを東へ歩いていくと、右手にフィリピン空軍航空宇宙博物館の看板が見えてきます。あとは、車に気を付けて横断歩道を渡るだけです。歩いていくと比較的簡単に行くことができますが、車ですと一方通行があり、けっこう迂回する必要があるので注意してください。帰りしな、グラブを読んだのですが、最初待ち時間が4分だったのに、しばらくすると待ち時間20分になってしまいました。
フィリピン空軍航空宇宙博物館の1階入り口
1階のエントランスから中に入りますとさっそく航空機の展示がありました。すべて本物だと思いますが、なかなかの迫力です。
上記写真、手前の航空機に関する説明書きを下で翻訳しました。
SF-260WP
「マルケッティ」
テール番号15-44を搭載したこの航空機は、1970年代に第17攻撃中隊に納入されたSF-260WP「ウォーリア」の1つです。もともとはステリオ・フラッティによって設計され、SIAIマルケッティによって製造されたもので、一般的には低い翼と三輪車の下部構造を持つ軽量の軍事練習機です。第15ストライクウィングが反乱鎮圧の役割で使用するSF-260は、カモフラージュ色で、軽攻撃ミッション用の光爆弾/弾薬を運ぶために、下に武器のハードポイントが装備されています。
軽攻撃機の目録に登録されていましたが、訓練用の航空機としてPAFフライングスクールに引き継がれたため、後に訓練色(シルバーグレーとタンジェリン)で回収されました。1990年代に使用が中止され、すぐに同じバリアントがSF-260TP(ターボプロップ)バージョンに置き換えられました。
ボーイングPT-13 / PT-17
「カイデット」
1993年にフェルナンド空軍基地で保存、表示されていたテール番号76-7551を持つこの「カイデット」または「ステアマン」練習機は、コロネル・ジーサス・ビラモア空軍基地で以前に戦術コード588で描かれ、テール番号217488を持っていたものと考えられています。「カイデット」は、当時の多くのシリアル番号が破壊または破損されていたため、戦術コードによって識別されるのです。
歴史上、この種の初期のバリアントは、ステアマン社によって設計および製造されたため、「ステアマン」という名前が付けられました。 フィリピン陸軍航空隊(現在のフィリピン空軍)は、最初に基本的な訓練と初期訓練にステアマンモデルL-73を使用し、戦争前にモデル76D-1武装バージョンを使用しました。 第二次世界大戦後、1948年から1958年にかけて50以上の「カイデット」練習機がPAFフライングスクールに買収され、使用されました。
北米のP-51D「マスタング」
「シャークオブサンバレス」
テール番号4823を持つこの「ムスタング」は、以前バサ空軍基地に表示されていたテール番号3733(SN:44-74627を持つ)を表すために使用されたものと考えられています。 戦術コード001 “シャークオブサンバレス”は、第5戦闘機ウイングコマンダーの個人用マウント(コマンダーの航空機)でした。P-51は、当時の多くのシリアル番号が破壊または破損されていたため、戦術コードによって識別される可能性が高くなりました。歴史上、少なくとも4人の「ムスタング」が「シャークオブサンバレス」という名前を付けていました。
P-51は、一般的に第二次世界大戦のブラウニングカル50機関銃を搭載した戦闘機でした。フィリピン空軍は1947年に最初に6台のP-51を獲得し、1950年代のルソン島の「HUK」とミンダナオ島の「カムロン」反政府勢力に対する「平和化」キャンペーンで、合計50機以上が就役しました。
博物館の1階「実機展示」
博物館には実際のコクピットも展示されています。マニラにはたまらないでしょう。
こちらも実際のヘリコプター。中に乗って実際に操縦かんを握りたい衝動にかられますが、展示品には基本的に触ってはいけません。
博物館の1階「シアター」
1階にはシアターもあります。私が行った際は、スタッフが機器のメンテナンスをやっていました。
博物館の1階「軍用車等展示」
1階の奥には軍用車やミサイル部分の展示もあります。
こういった国家レベルの施設でも文字の均等割りで表示させるところがフィリピンらしくて良いですね。
なぜ、空軍博物館にこんなものがあるのかと思いましたが、正式名称は空軍航空宇宙博物館ですので宇宙という部分がこの展示品に集約されている感があります。詳細な説明書きはなかったのですが、スペースシャトルで宇宙へ行き、地球へ帰還の際に使われたものだと推測します。
フィリピン空軍航空宇宙博物館の2階
二階へ上ると、当時の軍服などが展示されているコーナーがあります。
戦闘機の歴史を立体的に展示していて、なかなかかっこよかったです。
2階には広いファンクションルームもあり、セミナーや教室なども開ける体制が整っています。
このファンクションルームそばの窓から外に展示されている航空機を一望することができます。
小野田少尉関連の展示品
2階には小野田少尉関連のものが展示されているガラスケースがあります。一度通り過ぎたのですが、なかなか見つからないため、オフィスで聞いたところ、2階のこの場所にあることを教えてもらいました。普通に展示されていて、見落としてしまっていました。
入り口から入ってすぐ2階を見るとすでに見えていますので、行く際は、上記写真を参考にしてください。ちなみに、入場時は係の人がいなかったので、入場料は払えませんでしたが、オフィスに行ったタイミングで入場料の20ペソを支払いました。
1974年3月の日本軍の小野田裕夫の降伏に関連するアーティファクト(剣、ライフル、個人装備など)がここに展示されています。
当時の写真。
当時、小野田少尉がかぶっていた帽子や所持品も展示されています。
小野田少尉が持っていた銃。かなり貴重なものだと思われます。
博物館の外
博物館の外には、屋内に入りきれなかった航空機が展示されています。
羽が45度の角度で異様に長いヘリ。写真の2倍の長さはありました。
高射砲も今にも飛行機が撃ち落とせそうな勢いです。
ドクターヘリっぽい白いヘリ。
兵隊輸送用か要人用の旅客機。
中心に向かって等間隔で並ぶ航空機。フィリピンではこういったあまり意味のない独自の並べ方を時々見ることができます。
車を洗う人。駐車スペースは来客数に比べてだいぶ広いのですが、おそらくこれは駐車場を個人的に使用している例だと思います。ほかにもギターを持ち出して建物内に入っていく人をみたので、従業員の家族か知り合いが利用しているのだと思います。役所などに行くと係員の子供がそこらじゅうを走り回っているのを見たことがあると思いますがそれと同じ論理です。
実は空軍基地側にも出入り口はあるのですが、博物館を出て上記場所で写真を撮っているとしこたま怒られますので注意してください。
その他ケソンシティにフィリピン国軍博物館なるものもあるようなので、機会があればそこにも行ってレポートしていと思います。場所はキャンプアギナルドということですので、以前いったゴルフ練習場の近くです。
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