このブログのフィリピン編ではフィリピンにある大学の訪問記や大学ランキングなどを記事にしたことがあるのですが、このヤンゴンでもその血が騒ぎました。
ちょうどバスの通り道にヤンゴン大学という文字を見つけてしまったので、行かねば行かねばと思いつつ、観光旅行の後半になりやっと行ってきました。
また、ヤンゴン大学を出たあとは、近くにあるアウンサンスーチー女史の自宅にも訪問してきましたので、あまり期待せずにお読みください。
ヤンゴン大学の歴史
ヤンゴン大学の創立
ヤンゴン大学は英領時代の1878年にイギリスによってラグーン大学として設立されました。その後1920年にアメリカのバプティスト派教会設立のカレッジと合併しYangon Universityとして設立。ヤンゴン大学はミャンマー最古の国立大学です。
英領下ではオックスフォード大学とケンブリッジ大学をモデルとして運営、ひとつひとつの学部が独立したカレッジとして運営されていました。
独立運動の激化
1930年代〜40年代になると、将軍アウンサン、元国連の事務総長ウ・タンを主導とし植民地からの独立運動が激しくなり、1950年代〜60年代は、アジア諸国の中でももっとも高度な教育を与える教育機関として、アジア全域から学生を集めました。
1949年にはUniversity of Yangonとして改編(7学部編成:教養・理・法・森林・教育・工・農) 、1964年には、教養・理学・社会科学・人間学分野のセンターへと移行し、その他の学部はそれぞれ学位授与を行う組織へと独立しました。
軍政時代
しかし、軍政時代にしだいに閉鎖的になり大学の教育力も落ちました。
1962年以降、ヤンゴン大学は中央政府機関の制御下に直接置かれ、大学が自身の教育について何一つ自ら決められないという事態に陥り、能力のある学者よりも軍に忠実な人が教育者として重宝されるようになったのが教育力低下の原因です。
大学学部の閉鎖
1990年代になると、ヤンゴン大学が民主化運動の拠点となったため、軍政当局は大学院のみを残し大学学部を全て閉鎖しました。25年間もの間、学部卒業生がいない状態が続いたのです。
ヤンゴン大学の現在
ヤンゴン大学の学部が再開したのは2014年。2017年9月に25年ぶりに卒業生が出ました。
参考:
- ミンガラ春庭「ヤンゴン大学キャンパスツアー・女子寮など」
- University of Yangon(ヤンゴン大学)/関西大学 海外学びサイト(https://www.kansai-u.ac.jp/Kokusai/sankus/university/index.php?m=103)
ヤンゴン大学の立地、地図
ヤンゴン大学のキャンパスはインヤー湖のほとりにあります。路線バスですと37番か39番に乗ると到着します。
ヤンゴン大学構内の様子
ヤンゴン大学構内への入り口は数個ありますが、この日は南側正門から突入しました。敷地が広いので入り口を間違うと死活問題となりますのでご注意ください。
構内に入ると北にまっすぐ伸びた道路があります。ただ、人通りが少ないのがさみしい感じがしました。もやっと霧がかかっていて、まるでロンドンにある大学なのかなと錯覚しました(ロンドンへは行ったことがない)。
レクリエーションセンター。
南の門からけっこう歩き、北側のメインの建物らしきところに来ました。相変わらず人通りは少なく、お迎えの車が増えてきました。
メインの建物の近くにあったヤンゴン大学構内図。その後北側の出入り口からヤンゴン大学を後にしました。
冒頭でお伝えした通り、ヤンゴン大学は最近まで学部生を募集しておらず、大学院生だけでした。なので、大学独特のキャピキャピ感は一切ありませんでした。
ヤンゴン大学周辺
ヤンゴン大学の近所にあったFUJI COFFEE HOUSE。フィリピンではみませんが、ミャンマーやバンコクでも見かけました。
アメリカ大使館もこの通り沿いにあります。その他韓国大使館、北朝鮮大使館も目撃しました。
アウンサンスーチー女史の私邸
アウンサンスーチー女史が、軍事政権によって軟禁させられていた自宅。
1989年7月〜1995年7月の6年間、2000年9月〜2002年5月の1年8ヶ月、2003年5月〜2010年11月の7年半と、合わせて15年2ヶ月間、この自宅に軟禁されてました。
この日は夕方でしたが、昼間でも特に中に入れるわけではないですが外国人にとってはちょっとした観光スポットになっているようです。
コメント
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