みなさんこんにちは。今日は、台中に来た人なら一度は耳にする金ぴか大仏像で有名な寶覺禪寺(ほうかくぜんじ)へ行ってみたいと思います。
有名なので、あまり多くは語りませんが、よくよく見てみると日本にゆかりのあるものもありましたのでベタ過ぎて行きたくないという、行かず嫌いな私のような人も一度行く価値はあると思います。
寶覺禪寺とは
1928年に日本の臨済宗妙心寺派の寺院として創建された寶覺禪寺(ほうかくぜんじ)。巨大な布袋様(弥勒大仏:みろくだいぶつ)の仏像は、台中観光ガイドブックに載っていないことはないでしょう。
ちなみに七福神の布袋様と彌勒大佛は本来別の存在ですが、中国・日本の民間信仰では「布袋=弥勒の化身」とみなされることが多く、この寶覺禪寺の巨大仏像もその系譜にあります。
彌勒大佛(弥勒仏)
- 仏教における未来仏で、釈迦如来の後にこの世に現れて衆生を救うとされる
- 正統な仏教経典では「兜率天に住み、未来に下生する菩薩」として描かれる
- 姿は必ずしも「笑顔で大きな腹」ではなく、端正な菩薩像として表されることが多い
布袋
- 中国・五代十国時代の禅僧「契此(かいし)」がモデル
- 大きな袋を背負い、太鼓腹で笑顔を絶やさない姿から「弥勒菩薩の化身」と信じられた
- 日本では七福神の一柱として「福徳・円満・笑門来福」を象徴
寶覺禪寺の地図と行き方
- 所在地:台中市北区健行路140号
- 拝観時間:9:00~17:00(毎日)
- タクシー:台中駅から約10分
- バス:寶覺寺下車
- HP:寶覺寺(観光サイト)

寶覺禪寺の外観はあまりにも立派すぎて、ぼーっとしてると通り過ぎてしまいますので注意。「おー、立派なお役所の建物だなー」なんて思ってたらそれが寶覺禪寺です。

立派な建物の中か奥にあの金ぴか大仏様がいらっしゃると思ったら、普通に敷地の右側に鎮座していました。

この超巨大な建物。中に入るとわかりますが、お寺をそのまま囲ったような建造物です。これは一般的に 「大佛殿」や「覆殿(おおいでん)」 と呼ばれる形式で、寺院の主要伽藍(がらん)を保護しつつ、巨大な彌勒大佛像と一体化させるために造られたものです。

高さ約7階建てに相当する巨大な金色の弥勒仏。。。あれ、金色じゃない。実は、ガイドブックにある布袋様は金ぴかド派手でかなり映えている感じですが、2024年の修復工事で現在のように灰色に塗り替えられたそうです。

布袋様の下には中に入る入口がありましたが、この日は閉まっていました。仏像の完成当初(1970年代〜1990年代頃)は、大仏の内部が参拝空間として開放されていて、階段で上層まで登り、内部に安置された仏像や壁画を拝観できたそうです。
現在は安全面や維持管理の理由から、内部公開を停止しています。これも南天宮同様維持費の問題も一部あるのでしょう。

ちなみにこの巨大大仏の近くに小さい白い大仏様もいらしゃるのですが、おなかと頭を触ると金運や開運にご利益があるとのことです。
日本人遺骨安置所

第二次世界大戦で亡くなった日本人約1万4千人の遺骨が祀られた遺骨安置所。日本語で書かれたメッセージを見ると胸が熱くなります。
靈安故郷慰靈碑

この慰霊碑は、戦時中に日本軍に従軍した台湾人兵士や、台湾で亡くなった日本人の遺骨を祀る場として建立されました。台湾では「台湾の靖國神社」とも呼ばれる特別な慰霊空間です。建立年は1990年。「霊安故郷」の文字は李登輝元総統による筆跡です。

靈安故郷慰靈碑の側面に刻まれたメッセージ。全文は、日華(台)親善友好慰霊訪問団のHPで確認することができます。
涅槃城碑

日本人遺骨安置所の裏側にあった碑。左のほうに日本と書いてあるので、遺骨と関係があるのかと思い撮影しました。
これは実は、昭和10年(1935年)に玄奘三蔵入寂1300年を記念して臨済宗妙心寺派から贈られた碑なのです。涅槃城は仏教的な比喩で、「涅槃の境地を城にたとえたもの」。戦没者慰霊碑(霊安故郷碑・英魂観音亭)とは別系統で、仏教史的記念碑として建立されたものです。
参考 老台中的懷舊記憶
英魂観音亭

英魂観音亭は1990年に建立された慰霊施設。台湾出身の旧日本軍人・軍属の戦没者を祀る場所です。





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